誰が為の魔女
誰が為の魔女、というユニットがある。
moegiと二人でやっているユニットで、彼女が作って長いこと置いたまんまになっている曲たちをアレンジしている。
昨日は新曲のデモ作成をしていた。
誰が為の魔女の特徴としては、曲それぞれに背景となる体験や物語が存在しているところ。
アレンジは、そこに焦点を当てて進めていく。
全体を通してそうだが、誰が為の魔女では映画のエンディングを作っているような感覚だ。
だから、ぱっと聴いていい感じのデモが出来ても、そこにそぐわない雰囲気だと採用されない。
ここが、今まで自分が歩んできた音楽体験とは一線を画すところで、なかなか苦戦を強いられている。
背景にそぐう音、そして歌を一番上に持ってきたいため、メロディアスなアプローチはあまり合わない。
そういうアプローチが好きでそればっかやってきたため、差し引きという概念に今やっと向き合っている。
しかし、誰が為の魔女はとても楽しくやれている。
それは、今自分がやっていることの中で、誰が為の魔女が一番自分の才能を発揮できていると感じているから、だと思っている。
作ったフレーズを後から聞いても嬉しくなるのは、誰が為の魔女が初めてだ。
そして新しいことに挑戦しているのも楽しい要因だと思う。
エンディングっぽいアレンジ、といったが、それは雰囲気の話で。
音楽的テーマは「不足している」である。
詰め込みすぎない、詰め込むのはここぞという時。
こういった挑戦ができるのは、確実にmoegiの曲によるところが大きい。
あんまりネタバレしたくないのだけど、彼女の曲をいくつか、ギター1本で歌うと、コード進行がほぼ同じなことに気づく。
しかし、どの曲の歌メロも、同じメロやモチーフを感じることがない。
今書いてて恐ろしくなったが、本当のメロディーメーカーってmoegiみたいな人のことを言うんじゃないか。
どうしてこんなことになるのか?と考えてみたが、やはりmoegiの曲には、背景というものが存在しているから、全ての曲が違くなるのでは、ということに気がついた。
誰が為の魔女ではインスピレーションを受けたイメージを自分なりに音で具現化している感覚が強いが、案外、そういう埋もれた部分を掘り起こしているだけなのかもしれない。
昨日作成したデモは、エンディングというより挿入歌っぽくなった。
それを2人で聴きながら、サウンドトラック作ればいいじゃん、映画作りたいね、みたいな話をした。
そういう想像ができることも、誰が為の魔女の楽しいところだ。
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