明るい話

過去と仲良しの人、というのがいる。


具体的に言うとそれは自分のことなのだが、これもどうなんだろう、と最近すごく感じている。


過去と仲良し、とは、過去にしがみついていたり、悔しかったことなんかをずっと反芻している状態のことを言う。


その結果、日々のできごとは新しく変わり、いいことも増え、面白そうな未来を描くことができるようになってきたにもかかわらず、どこか暗い気持ちというか、もやついた日々を送っている。


過去にこだわって、僕は一体何をしようとしているのか。


さっき風呂に入りながら考えていたが、ふと答えが出た。


到底できないことをしようとしていたのだと、無理難題を難なく解決できるのだと思い込んでいた。


過去にあったことや感じたことそのものを、変えようとしていた。


時間というのは一方向にしか進まない。


過去があって現在があり、そして未来がある。


だけども、一方向にしか進まない時間の概念において、過去そのものを変えようとしていたことに気づく。


本来であれば、過去にやってしまった失敗は、次はこうしよう、と対策を打つことによって解決する。解決しなくても、それだけでよい。


過去に感じたいやなことも、そのときはそう感じたが、今はそう感じないかもしれないし、さらに未来ではどう感じるかわからない。というか正直なところ、未来にどう感じるかは今のところ眼中にすらない。


にもかかわらず、である。

過去に起こった出来事や、感情を、まるっと変えようとしていたのである。


やらなきゃよかったおふざけ、言わなきゃよかった失言、それに対するごめんねという言葉。


ぜんぶ変えようとしている。


時間は進んでいるのに、記憶がいつまでも過去にこだわっている。


過去がたくさん積み重なって今がある。


それはその通りである。過去の経験があって今の自分があり、コミュニケーションを良くしたり面白い創作物ができあがる。


だからといって、過去ばっかり見ているのってどうなんだろうか?


それは、自分の人生に対して不誠実だとおもう。



僕らは今しか感じれないし、待ち受けているのは未来である。


たとえ過去がとんでもなくいいものだったとしても、それはこれからの自分を良い方向に向けてくれるわけではない。


もっと言うと、未来を掴みたいから何かを生み出したり、人は進んだりしているのだと思う。


言い過ぎかもしれないが、今僕は過去なんていらないと思っているし、そんなものに左右されるのはもうめんどくさくなっている。


過去にこだわってばっかりいるから、人は精神的に病んでいくんだと思った。


過去を受け入れられなかった僕は、かつて過去を受け入れたけれど、

その時とは違うことをする。僕は過去とさよならをする。


今目の前に見えていることが、僕にとってすべて本当である。


そんなことをふと思って、急いで風呂からあがりこのブログを書いた。


過去過去言っているが、過去の中にもいいもの悪いものがあり、どうしても悪い過去を多めに溜め込んでしまう癖がある。


今から1年くらい前になるか、自分が自分で良いと受け入れるために中期に渡ってブログを書いてたときがあったが、今感じているのはその次のステップにある。


普通に幸せを感じたい。


そして幸せを感じさせてくれるのは、何においても自分である。


とはいうものの、こだわりたくはないが、過去でも楽しいものは確かに残っている。


おとといのPoint Hopeのライブ、今までやってきたライブで一番たのしかった。


何かが出ていったような気が、そんな気がした。

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